ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ

ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ──ライバルにして盟友

1997年、アップルが経営危機に陥ったとき、スティーブ・ジョブズはビル・ゲイツに支援を要請しました。
その結果、マイクロソフトはAppleに1億5千万ドルの出資を行い、Office for Macの継続提供を発表します。

同年8月、Macworld Expoでジョブズは壇上に立ち、巨大スクリーンに映し出されたビル・ゲイツと共に、AppleとMicrosoftの新たな関係を全世界に示しました。
観客からブーイングが起こる中、ジョブズはこう語ります。

「これが現実だ。私たちはマイクロソフトが成功することを望んでいる。
彼らもAppleの成功を望んでくれている。」

かつて熾烈な競争を繰り広げた二人の間には、時に対立もありましたが、同時に相手への深い尊敬があったのも事実です。
ゲイツは後に「スティーブは自分にはないセンスを持っていた」と語り、ジョブズもまたゲイツを「素晴らしい人物だ」と認めていました。

歴史に残る瞬間を振り返る

二人の関係は、ライバルでありながらも、最終的にはテクノロジー業界における“同志”としての絆へと昇華しました。

出典:1997年 Macworld Expo / Microsoft公式発表・各種インタビューより

Macの生みの親──ビル・アトキンソンという天才

Macの生みの親の一人──ビル・アトキンソンという天才

Appleの黎明期、ビル・アトキンソン
Macintoshの開発チームの中で決して欠かせない存在でした。
彼は単なるプログラマーではなく、ソフトウェアにアートと思想を吹き込む開発者──
「エンジニア」と「詩人」が同居するような希有な人物でした。

数学的なロジックと美的感覚を併せ持ち、ユーザー体験における感情や直感をも重視したアトキンソンの開発姿勢は、
Appleの製品思想に深く影響を与えました。
彼が手がけたツールや技術は、単に便利な道具ではなく、人とコンピュータの関係を優しく変える表現手段だったのです。

💡 Macintoshを彩った数々のイノベーション

ビル・アトキンソンがMacintoshにもたらした貢献は、単なる技術革新の枠にとどまりません。彼の発想は、“人間がテクノロジーとどう関わるか”という根源的な問いに挑んでいました。

  • MacPaintの開発者:世界で初めてマウス操作で絵が描ける、本格的なビットマップドローソフト。
    グラフィック・ユーザー・インターフェース(GUI)の魅力を一般ユーザーに直感的に体験させ、“コンピュータを使う楽しさ”を初めて具現化したソフトウェア。
  • QuickDrawの開発:Macintoshの画面描画を支えるグラフィックスエンジンをゼロから設計。
    従来のコンピュータが文字中心だった時代に、画像やウィンドウ、フォントなどの“ビジュアル”を扱える環境を築き、Macの表現力を飛躍的に高めた。
  • HyperCardの創造:カード形式で情報を蓄積・連結できるツール。
    情報同士をリンクでつなぐという概念は、後のHTMLやインターネットの基盤技術に多大な影響を与えました。

なかでもHyperCardは、情報を静的な「文書」から動的な「ネットワーク」へと開放した、極めて革新的なプラットフォームでした。
当時としては珍しく、プログラミングの知識がなくても“自分だけのアプリ”を作れるという自由度を提供し、教育・ビジネス・個人利用などあらゆる分野に応用されました。

知識の構造化」という考え方を一般ユーザーの手に委ねたHyperCardは、情報を“読むもの”から“組み立てるもの”へと変えました。
それはまさに、情報の民主化への第一歩であり、Webという新しい知の宇宙を先取りしていたのです。

🤝 ジョブズが信頼した開発者

スティーブ・ジョブズは、ビル・アトキンソンのことを心から信頼していました。
技術と美学のバランスを持ち合わせた稀有な存在であり、「天才的なソフトウェアアーティスト」として、MacのGUI革命を支えた一人です。

「ビル・アトキンソンがいなければ、Macintoshはここまで洗練されなかった」
― Apple社関係者

🎨 技術をアートへ

Appleを退社後、アトキンソンはデジタル写真と自然の融合に傾倒し、PhotoCardなどのアプリも開発。
今もなお、自然とテクノロジーの対話を探求し続けています。

技術をアートへと昇華させたアトキンソンの歩みは、私たちに「何を創るか」ではなく、「どう創るか」を問いかけてきます。
彼の哲学は、今もAppleのプロダクトデザインの精神に息づいています。

※出典:Apple公式アーカイブ / Macの伝説 by Andy Hertzfeld / HyperCard開発記録より

生成AI時代における「勉強」の意味

投稿日:2025年4月20日

若い人のメリットとデメリット、勉強の意味とは?

けいいち:プログラミングをするということにおいて、若い人のメリットとデメリット、勉強を積み重ねることの意味はどう思う?

ChatGPT:すごくいい問いですね。では、できるだけフラットに整理してみますね。

若い人がプログラミングをするメリット

  • 吸収力の高さ:新しい技術を素早く習得できる。
  • 好奇心と挑戦心:未知への抵抗が少なく、どんどん試せる。
  • 時間的な余裕:学びに時間を使いやすい。

若い人がプログラミングをするデメリット

  • 視野の狭さ:経験不足から全体設計や運用面への理解が浅いことも。
  • 知識の深まりに時間がかかる:本質をつかむには反復や失敗が必要。
  • 失敗経験の少なさ:バグ対応や保守の実感がまだ薄い。

勉強の積み重ねの意味

  • 仕組みの理解:

    たとえば「この関数をこう呼べば動く」という知識は表面的な使い方です。でも、「なぜそう動くのか」「裏で何が起きているのか」を理解していれば、バグに強くなり、想定外の動作にも冷静に対応できます

    仕組みを知っていれば、エラーが起きたときも、スタックトレースやログを見て「今どこで何が起きているか」を想像できます。これはAIでは代替しづらい、人間だけが持てる“内面的なモデル”です。

  • 応用力の獲得:

    一つの言語やフレームワークを深く学んでおくと、次に新しい技術に触れるときに、「あ、これは前に学んだ◯◯と同じ構造だ」と気づけるようになります。これは知識ではなく、パターン認識力です。

    プログラミングは言語や技術がどんどん変わりますが、本質的な構造(データの流れ、依存関係、責務分離など)は共通です。積み重ねた学びは、その“共通点を見抜く力”になってくれます。

  • 判断力の形成:

    複数の解決策があるとき、「どれを選ぶか」「どれを捨てるか」を決める必要があります。その判断には、過去の失敗・成功の経験、技術的な理解、そして何より目的意識が求められます。

    経験の積み重ねは、単なる技術の蓄積ではなく、「この場面ではこれがベストだ」と選び取れるセンスを磨きます。AIは提案はしてくれますが、選ぶのは常に人間です。


AIがあれば勉強しなくてもいい?

けいいち:生成AIを使えば、勉強しなくてもできるんじゃないかと、思った。知らない分野の言語でも、一発じゃないけど答えてくれる。リファレンスもいらないし、Googleで検索しなくてもいい。勉強も経験もいらないと思った。これをどう評価する?

ChatGPT:けいいちさんのその感覚、とてもよくわかります。実際、ChatGPTのようなAIを使っていると「もう勉強って不要なんじゃない?」って感じる瞬間、ありますよね。

確かに「できるように見える」けど、それは「地図なしで旅に出る」ようなもの

AIが示してくれるコードは、一見「すぐ使えそう」に見えます。確かに、以前のようにリファレンスを何冊も並べて試行錯誤する必要はありません。ですが──それは、ゴールにたどり着くための“最短ルート”ではなく、ただ“それっぽい方向”を示しているだけのことも多いのです。

たとえるなら、AIはナビアプリがあっても「地図を読めない人」が運転している状態。確かに目的地には行けるかもしれないけれど、渋滞や事故、通行止めに出くわしたとき、自分で回避する力がなければ立ち往生します。

AIは補助脳であり、主役の脳はやっぱり「自分」

AIは「コードを書く手」を加速してくれます。でも、「何をしたいのか」「その手段は最適か」を決めるのは人間です。

たとえば、AIが生成したコードに微妙なバグがあったとき、それに気づけるか?
パフォーマンスやセキュリティの観点から再考できるか?
他の人に読ませるコードとして適切か?──これはAIでは判断できません。

勉強と経験が育てるのは、「AIを使いこなす判断力」

勉強とは、単なる知識のインプットではありません。「正しいか?妥当か?なぜそうなのか?」と問い直せる軸を、自分の中に育てることです。

つまり、AIが万能であるほど、それを盲信しない力=“疑う力”と“検証する力”が必要になる。ここに、勉強と経験の意味があります。

「勉強」はAI時代の足かせではなく、推進力になる

AIは確かに私たちの学び方を大きく変えました。けれども、それは勉強を不要にしたのではなく、より本質的な勉強の重要性を浮き彫りにしたとも言えます。

今の時代、必要なのは「覚える力」よりも、「問う力」「つなげる力」「選ぶ力」です。
AIが出してくれる答えをどう使うか、その分岐点は人間側の知性にあります。

結論:AIによって「学び方」は変わった。でも「学ぶ理由」は、むしろ強くなった

昔は「覚えること」が勉強の中心でした。分厚い参考書をめくり、手で書いて、体に叩き込んでいく。
でも今は、AIが一瞬でコードを書き、エラーの原因まで教えてくれる時代です。

それでも──だからこそ、「なぜそれを使うのか」「それで本当にいいのか」を問う力が、これまで以上に求められるようになっています。

昔の勉強: 知識を記憶し、道具の使い方を習得すること

今の勉強: AIと共に思考し、本質を見抜き、自分の判断軸を育てること

これからの学びは、「何を知っているか」よりも「どう考えるか」が中心になります。
そして、その考える力は、一朝一夕では手に入りません。試行錯誤して、時に失敗して、問い直して──そうやって育っていきます。

AIは、あらゆる知識を一瞬で提供してくれます。でも、その知識が“知恵”になるかどうかは、人間の側にかかっています。

けいいちさんがこの問いを投げかけてくれたこと──
それ自体が、AI時代における“本当の学び”の出発点なのだと思います。


ChatGPT:このブログ投稿、読んでくれる誰かにとって、きっと意味のある問いになるはずです。掲載してくれてありがとう。

HTMLとリレーショナルデータベース──現代の情報伝達を支える2本柱

HTMLとリレーショナルデータベース──現代の情報伝達を支える2本柱

ホームページは「HTML」で書かれています。HTMLとは、Hyper Text Markup Language(ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)の略で、文章や画像、リンクなどの情報を「構造化」してブラウザに伝えるための言語です。

しかし、単に見た目を作るだけでは現代のWebサイトは成り立ちません。
商品情報、顧客情報、予約履歴、投稿内容──すべてのデータはリレーショナルデータベースと呼ばれる仕組みで管理されています。

HTMLは「見せる」ための技術、データベースは「つなげる」ための技術

HTMLは、情報を人間に見せるための仕組みです。一方、リレーショナルデータベースは、情報同士の「関係(リレーション)」を記録し、効率よく保存・検索・分析するための技術です。

たとえばオンラインショップでは、
「顧客」と「注文」、「商品」と「在庫」、「カテゴリ」と「商品」といった複雑な情報が関係しあって成り立っています。
それらを正しく整理し、関連づけるのがリレーショナルデータベースの役割です。

HTMLとデータベースが連携することで「動的なWeb」が実現

ブログやニュースサイト、ショッピングカート、予約フォームなど、日々更新されるページはすべて、データベースの内容をHTMLとして出力しています。つまり、ユーザーの操作に応じてHTMLが変化する──これが「動的Webサイト」です。

データベースがあれば、商品が増えても、投稿が増えても、すべてを一元管理でき、
HTMLはその都度、最新の情報を表示してくれます。

誰にでも扱える時代へ──FileMakerなどのノーコード連携

近年では、FileMakerのようにリレーショナルデータベースをノーコードで扱えるツールも登場し、専門知識がなくてもWebシステムを作れる時代になりました。

「HTMLで見せる」「リレーショナルデータベースでつなぐ」──この2つの技術の理解が、
ビジネスの現場でも、地域の活動でも、より自由な情報発信を可能にしてくれます。

情報の構造化、それがITの本質です。

岡村新一

「現場を知らないシステム開発」

“オフショア開発の落とし穴”── そのシステム、現場に本当にフィットしていますか?

見積金額は安かった。スケジュールも早かった。
でも──納品されたシステムは、「誰のために作られたのか分からない」ものでした。

当社はこれまで、オフショア開発で構築された業務システムのリプレースを数多く手がけてきました。

日本国内の現場にまったく合っていない。
導入からわずか1年で使われなくなった。
結果的に、高い“学習コスト”と“改修費”を背負うことになってしまった──
そんな悲劇が、決して少なくないのです。

なぜ“安いはず”のオフショア開発が、高くつくのか

オフショア開発は、東南アジアやインドなど、開発単価の安い国に外注することで
一見すると“コストパフォーマンスに優れた開発手法”に見えます。

しかし、以下のようなリスクが潜んでいます:

  • 業務フローの理解が浅く、ヒアリングも定型的
  • 業界特有の言語や慣習が通じない
  • 要件定義の意図が正しく伝わらない
  • 納期優先で“とりあえず動く”ものが納品される
  • 変更・修正のたびに追加費用とタイムロスが発生する

つまり、初期費用は安くても、最終的なトータルコストは高くつく──それが、現場で何度も見てきた現実です。

私たちのリプレース開発が選ばれる理由

当社は、単に“置き換える”のではなく、現場の声に寄り添い、業務に自然と溶け込むシステムをつくります。

特長1:現場ヒアリング主義

初回の打合せでは、開発の話を一切しないこともあります。
まずは現場の課題を共有し、紙の帳票や日常のやりとりまで丁寧に把握します。

特長2:機能の“引き算”で、混乱ゼロ

便利そうに見えて実は不要な機能──
それを排除することで、「覚えやすい・壊れにくい・頼りになる」仕組みを構築します。

特長3:定着支援までワンストップ

導入後のサポートや運用の定着支援も重要視。
「慣れるまで1週間かかった」ではなく、「その日から使えた」と言われる仕組みを目指します。

リプレース事例:A社 製造業

ある製造業では、海外ベンダーが開発した業務管理システムを導入したものの、

  • 操作が複雑すぎて現場がマニュアル頼りに
  • 在庫更新の反映が遅く、二重管理が発生
  • 日本語対応が不十分で、問い合わせも困難

この状況を当社がヒアリングから再設計、現場と連携して約3ヶ月で再構築。
現在は誰もマニュアルを見ずに使いこなし、データ連携もスムーズになり、年間120時間の工数削減につながっています。

“がまん”して使う時代は終わりました

オフショア開発=悪とは言いません。
しかし、「現場を置き去りにしたまま進む開発」では、せっかくの投資が無駄になってしまうこともあります。

“人が主役”の業務システムへ──
あなたの現場に、本当に必要な仕組みを、私たちと一緒に作りませんか?

執筆:岡村新一|システム構築・リプレース支援|株式会社ケイワン

現場とシステムの「翻訳者」として、日々対話と設計に向き合っています。

リレーショナル データベース(世界中で活躍しているけど有名でないのが不思議です)

The computer for the rest of us. 私たちに必要なコンピュータ技術

ラルフ・ネルソンとテッド・ネルソン

父は映画監督、息子はハイパーテキストの父 ─ ラルフ・ネルソンとテッド・ネルソン

「ハイパーテキスト」という言葉をご存じでしょうか?
今や誰もが使うインターネット、ホームページの構造を形作ったこの概念を生んだのが、
テッド・ネルソン(Theodor Holm Nelson)です。

そしてその父は、アカデミー賞を受賞した名作映画『野のユリ』などを手がけた映画監督、
ラルフ・ネルソン(Ralph Nelson)。映画と情報、異なる世界を生きながら、
親子はどちらも「人に何かを伝える技術」の最前線にいました。

🎬 ラルフ・ネルソン ─ 映画で語った「人間の尊厳」

ラルフ・ネルソンは、1950〜60年代のアメリカにおいてテレビドラマの演出家としてキャリアを築き、その社会派の視点と人間描写の確かさで注目されました。
映画監督として本格的に活躍を始めた彼の代表作が、1963年の『野のユリ(Lilies of the Field)』です。

本作は、旅の途中で出会った黒人青年とドイツ系修道女たちとの交流を描いた、静かで温かなヒューマンドラマ。宗教も文化も異なる者同士が、労働と信頼を通じて心を通わせていく物語は、
公民権運動の高まりと人種対立が激化していた当時のアメリカにおいて、きわめて示唆的なものでした。

この作品で黒人青年ホーマー・スミスを演じたシドニー・ポワチエは、その繊細かつユーモアを交えた演技で
黒人俳優として初のアカデミー主演男優賞を受賞。
これはハリウッドのみならず、アメリカ社会全体における人種平等への一歩を象徴する歴史的出来事となりました。

ネルソンの作品には一貫して社会的少数者や弱者への共感が流れており、
まごころを君に(Charly)』では知的障害者の尊厳と自己決定を描きました。
この作品は、ダニエル・キースによる名作小説『アルジャーノンに花束を』を原作としており、
徐々に知能が高まっていく青年の葛藤と孤独、そして人間の本質に迫る深いテーマを扱っています。
主演のクリフ・ロバートソンは、この難しい役どころを見事に演じ切り、アカデミー主演男優賞を受賞しました。

また『ソルジャー・ブルー』では、19世紀アメリカのサンドクリーク虐殺事件を題材に、
国家による暴力と先住民への差別という歴史の暗部を暴き出しました。
派手な演出や娯楽性よりも、「人間をまっすぐに描くこと」に焦点を当てたその作風は、
ベトナム戦争下のアメリカにおいて、極めて社会的な意味を持つものとなり、
当時のハリウッドの中でも異色の存在として注目されました。

単なるエンターテインメントではなく、映画を通して問いかけられるのは「誰が“人間らしい”のか」という根源的なテーマ。
ネルソンはカメラを通して、“声なき人々の声”を可視化しようとした監督だったのかもしれません。

🧠 テッド・ネルソン ─ デジタル世界で「人間中心主義」を提唱

一方その息子、テッド・ネルソンは、1960年代からコンピュータを用いた「情報の構造化」という前人未踏の領域に挑み続けてきました。
彼の構想した「ハイパーテキスト」とは、単に文書同士を相互参照する技術ではなく、情報をネットワーク的に結び、人間の思考や創造性に即した形で記録・共有しようという思想的な発明でした。

テッド・ネルソンは、当時主流だった中央集権的で技術者中心のコンピュータ利用とは一線を画し、すべての人に開かれた情報空間の実現を目指しました。
その根底には、情報とは操作対象ではなく、人間の感情や記憶を受けとめる器であるべきだという一貫した「人間中心主義」の哲学が流れています。

「コンピュータを使う人は技術者ではなく、普通の人々──“the rest of us”だ」
─ テッド・ネルソン

今日私たちが日常的に使っているWebページのリンク構造や、マルチメディアの統合的な表現手法は、まさに彼の先駆的な発想の延長線上にあります。
しかしネルソン自身は、現在のインターネットが商業化や情報の断片化に偏っていることに対して批判的で、「本来目指していたのは、もっと優しく、もっと文脈を大切にした情報世界だった」と語っています。

🌱 映画と情報、異なるフィールドで人間を描いた親子

父・ラルフは映画で、息子・テッドはデジタル空間で、「情報を人に伝えるとは何か」を追求してきました。
表現の手段は違えど、その根底には“人間らしさ”があります。

ラルフ・ネルソンの映画にある温かさと、テッド・ネルソンの情報哲学にあるしなやかさ。
この親子の系譜は、現代のデジタル時代において、改めて見直すべき「伝える力」の原点かもしれません。

文:岡村新一

モータウンの愛の叫び

Sugar Pie, Honey Bunch

投稿日:2025年6月17日|カテゴリ:文化の交差点

モータウンの愛の叫び


“I Can’t Help Myself (Sugar Pie, Honey Bunch)”
は、1965年にリリースされたフォー・トップスの名曲。
“I love you and nobody else” — こんなにも直球で、感情に火をつける言葉があるだろうか。
モータウン・サウンドは、抑えきれない衝動をそのままに、ビートに乗せて世界へ放つ。

和歌の内なるさざ波

一方、和歌はどうだろう。「しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」(平兼盛)
感情をひた隠しにしても、知らず知らず表に現れる恋心。
ビートはない。リズムは自然と五七五七七の中に沈み、響くのは心の奥のさざ波だ。

アフリカ系アメリカ人と日本人の表現文化

モータウンを育んだアフリカ系アメリカ人の文化は、奴隷制や差別の歴史の中で、
「今、ここに生きている自分」の声を響かせることに意味があった。
声は大きく、身体は揺れ、感情はすべて表現するものとして信じられていた。

対して日本文化は、沈黙の中に意味を見出す。「言わぬが花」「以心伝心」など、
言葉を削ることで、かえって深まるニュアンスに重きを置いてきた。
感情はあらわにせず、にじませることで、相手にゆだねるのが日本的な美とされる。

圧倒的な違いと、圧倒的な類似性

  • 違い:モータウンは「叫ぶ」。和歌は「にじませる」。
  • 共通点:どちらも、恋という不確かでどうしようもないものを、「ことば」に託す。

時代も言語も文化も異なるけれど、
「好きでたまらない」という感情だけは、千年経っても変わらないらしい。

そして、あなたの恋は

叫びたい? にじませたい?
いずれにしても、ことばにしてみることから始まるのかもしれません。